はてなを始めた。

素直に私感を回答させていただいているが、無責任と非難される事を同時に懸念する。
私なんぞの私感が強い影響力を持つとも思っていないけれど。
ただ、あまり指摘されることの無い視点であるという自負はある。
願わくば、雄弁な論拠を持って否定されて欲しい。


その遣り取りは無駄ではないと信じている。


現実的可能性ではなく、単なる論理的可能性であっても、それは指摘されずとも組合せの可能性として厳然と存在しているのだから。誰かが口を開き、その可能性の有り得なさが指摘されることは、無意識の蓄積を回避する力となる。
言葉を噤んで内側に抱える事になるならば、その鬱積は唐突に口火を切る。


1980年代の偏執的な平和主義と平等意識によって鬱積した感情が、世紀末に人の命の軽さ…として表面化したように。「なぜ人を殺してはいけないの?」そんな自明な質問に当時、誰も雄弁に答えることができなかった。それを抑圧したものが鬱積していた感情だと私は感じている。