環境の変化とバッタ相の変遷

この著の指摘は
小学校が、小学生が、環境観測に役立つ可能性を秘めている。

先日読んだ本は正に、そのような立場から書かれたものだったのだけれど。
この著の指摘は、蛍だとか特別な昆虫…観光目的となるような…
一部地域の限定ではない国益に添う総合学習を、国として準備できる
のではなかろうか…。公共事業の実体や行政の政策意図などまで、
基礎教育から触れられる可能性は期待が高まる(偽善な今の行政には
それ故にこのアイディアが実行される期待は逆に薄まるが)


そのように感じたのは、この著のデータサンプルの頼りなさと
著者の観察眼に対する頼りなさを感じた描写力…。子供なら、
それを補って余りある才能を秘めているように思う。



こう言った多様性の視点が欠落している事に、今の行政不信の
根幹がある。小さな政府を叫び増税を求める矛盾もそこにある
のだろう。

私が郵政民営化に反対の理由には、その定期的に地域巡回する
公務員が、治安維持活動に貢献できるだろうから…ということだ。
そのように片手間でありながら有効な社会貢献をし得る可能性に
目を瞑り、自らの専門と与えられた役割のみに引きこもり
それ以外からは、完全に目を背けようとする体質が助長される
ばかりでは。今の与党に任せていては、どんなにコストカットを
個々人の公務員に課していっても、全体として組織としての無駄は
増え続ける一方だろう。そう思えてならない。