イツキ

こういう見立てはどうだろうか?

扶桑国王・イツキは女王であり、伊勢神宮の斎王である。
扶桑国は、四国にあり、九州・朝鮮動乱の際、奈良に移った。
そこにあった女国と習合したが故に、当時の天皇は女帝が続く。

蘇我氏の拠点は四国であり、そこには聖徳太子の伝説も残る。
この頃蘇我は瀬戸内海を掌握しており、吉備姫王の領土が
その財政基盤になっていた。

習合と書いたが、どちらが乗っ取られたか判らない。
蘇我三代は滅亡のような形で排除された。これは
文化収奪されてしまったのだ…とも言えなく無い。

そこで、大君(オオキミ)・大臣(オオオミ)・大連(オオムラジ)は
それぞれ貴音の異なる文化圏で、それぞれどれも意味は「大王」
だったのではなかろうか。
それぞれ、文身国、扶桑国、倭国の大王と仮に対応してみたい。
もしくは、キミは貴耳で、オミは御耳と。ムラジは群耳だろうか。
大きな耳は高貴の証であり、埴輪に残る形は、髪型ではなく、
誇張された耳そのもの…と、ここでは解釈してみる。


扶桑国と蘇我氏とを重ねるような見立てになっているが、そうではなく
朝鮮渡来人である蘇我が、日本海経由で若狭湾から列島に入植、近江から
瀬戸内海に抜け、伊予の辺りまで攻略した…という見立てでもいい。
九州・朝鮮が政治的主導権争いの中にあって、それを背後から突く
戦略の中に見立てると、また面白い。九州王朝説を取った場合、それが
滅亡したとしても、畿内に逃げたとしても、その九州での勢力衰滅の
理由が見えてくる。

その圧力の中で扶桑国は東国に逃れ根を下ろす。そこでの受容された
証が、例えば常世虫信仰のような形で新興宗教としての討伐の対象
として描かれれいたりしている…とか。

今の皇統を確実に辿れる天武は、中部から機内への流入として描かれている
ことは、日本という扶桑の意味を冠するものに落ち着く事と繋がるのかも
しれない。