一目惚れと世界の中心

脳の顔領域に顔情報を記憶しているのだが、そこでの検索は、
「平均顔」を作成し、それとの相異によって検索を効率化
しているのだ…という理論のあることをガッテンで紹介していた。

そのような仮説のあることを知らなかったが、同じ実感を持っていた。


それを「一目惚れ」の生じるメカニズムの根拠として。


平均顔…私は理想顔と呼んでいたが…を脳に作り上げる。
個人個人の持つその「平均顔」にそっくりな人間に出逢えば、
過去に出会ったことのあるような既視感を伴って「一目惚れ」となる
のだろう…と。

ここまでを聞いて、平均と理想が一致する事に違和感を覚えるであろう
が、
一人一人が音痴であれ合唱する事によって聞ける歌になるという事例
や、
コンピューターの発達によって、様々な計算結果として「美人」とは
平均顔である事が計算結果として、昨今しばしば、いろんな場面で
指摘されるようになっているではないか…と。


「平均顔」を「理想顔」と受け取りそれを求める傾向は、言い換えると、
世界の中心に向かう内向性でもある。



追記

極論すれば、医学的・統計的平均と自らを一致させることを理想とする
価値観とも同じ傾向であると言えよう。それは、規格大量生産社会を
基礎付ける価値観でもある。社会主義だ資本主義だと呼び分けても、
両者に共通する物流支配構造を成立させた20世紀の価値観であろう…。


動機には健康のためだとか長生きのためだと言っても、個体差を無視した
その行為の帰結には、行為者の期待する見返りなどは無い。多くの者には。

追記2 白雪姫

白雪姫における王妃が「世界で一番美しい」者として、娘を憎悪するに
至ったのも、「鏡」が特別な存在として登場するこの物語において、
価値ある存在として見なしている、王と自らの存在の平均顔としての
娘が、理想的となるのは、その意味で必然である。鏡の魔法ではなく。


このような物語が作られ、共有されていった背景に、今で言う鏡…ガラス製の
高性能な鏡の発明と高級品としてもてはやされていた…人類が未だ鏡に免疫の
なかった頃に技術の弊害としての精神的病への処方箋として機能していた…
段階があったのであろうと推測する。