野ブタ(一部)を見て。

1980〜90年代のイジメとはやっぱり違う。
誰とは知れない個人が周囲全員を謀って個人をイジメている。


あの頃は、周囲全員が敵…であり、その様な状況を作る
「常識」や「当前」があった。


ここで描かれているのは、1960〜70年代に描かれた
イジメの構図に似ている。




一つ気になったのが、
あまりに「男性が女性に奉仕する存在であること」を不文律として
描かれ過ぎていること。誰であれ他人を傷つけたくない存在として
描くその態度は悪いことではないのだが。


そのような不文律が作品の中で違和感無く受け入れられているように
今現在なっているその背景には、1980年代からの男性原理に対する
激しい糾弾と封殺があったからであろう。


言うまでもないことだとして無意識に押しやってしまっていては、
その封印は直に解かれてしまう。その不文律を絶対的なものとして
その上に胡座をかいて、何の心配もなく男性原理を推奨している。
「全ての男は消耗品である」という著作が話題になったこともあるが、
この政治的失策で陥った不況を、日本の情けない男性の増加に責任
転嫁して、ワイルドで利己的に戦いに挑む気概が必要だと煽り、
競争便利に追い立てて、仮想敵国に対峙しうる存在として、
我が国の為に…自分のために…稼いでこいという無意識的な要求が
あろう。


発言を許された男性陣は、正義のために振る舞い始めれば、
正義の前に女を犠牲にするだろう。戦前…大正のあれほどの
文化的な時代から、急転直下で戦争に突入したように。
高度経済成長期にそうであったように。