方便を駆使して我が侭を煽る

未だに終了していないアンケートだけれども…

question:1132803450
一度切りの人生なのに、人の目を気にすることで自分が本当にやりたいと思うことをできないで、満足できない人生を中途半端に正当化しながら生きている人が多い気がします。

現実の自分と、思い描く理想との間にギャップがありすぎて、自分がその理想へ向かうことがそもそもおこがましいように感じてしまい、結果的に踏み出せずになぁなぁに生きてしまっているのだと思います。

現在30〜40代の著作活動等々によって、ようやくそのような常識が、
常識として芽生え始めた段階であって、敏感なあなたはさも正論の
ように唱える気持ちも分からなくはないのですが、今と当時とでは
窮屈さの程度が違う事を知ったほうがいいです。


後に「空気を読む」という言葉に象徴され穏和になったけれど、
当時にあっては、その非言語的なネットワークがクラス全体に
張り巡らされて、全対個の対立と言い得るイジメの構図ができていた。
未だ多様な価値観の許容されていない段階であってその統制は
かなり強固であった。積極的にイジメに参加しなくとも、間接的に
誰もが共犯と呼べる役割を演じていた。


ゆとり教育から多様な価値観と個性をヘタクソにたたき込まれた今の
これからの世代の学級崩壊している現状にあって、そのような
ニュータイプと呼び得るような意志疎通が出来ているとはとうてい
考えられない。周りのみんなに気づかれないように、気づかれても
個別に封殺できるような形で、グループと呼びうる小集団が個人を
対象にしたイジメが関の山ではなかろうか。報道されるものも、
自殺に追い込むような陰湿さより、露骨にリンチから殺人へと
短絡的なものへと移行しているように見られる。後者とて陰険である
ことに違いはないのではあるが。その意味で、加害者の個人的凶悪さは
今の方が増しているともいえる。傾向としての発言であるので、
個別事例としては何時の時代にあっても散見されるであろうけれど。


「誰もが自分を抑えずに、もっと自分勝手に振る舞えばいい」


今の…これからの…学級崩壊した新々人類が、
そのような主張を聞いて育ったら、どれほど混沌とした社会になるか。
その辺りを想像してみて下さい。


質問者もアンケート対象者に含まれるのか異なるのかは伺い知れませんが、
そのような既に成人している者のトラウマに基づく処世術を若者に刷り込む
のは如何な物かと思う。「自分らしさ」を否定するものではないけれど、必要のないメッセージだと考える。
まぁ。アンケートは「知りたい」を動機にしているのだろうから、このような懸念はよけいなお世話でしかないのでしょうけれどね。